ひなはづチャンネルの楽屋

YOUTUBE、動画編集、闘病生活。広く浅く、なんでもござれの雑多なブログ。

「継続は利なり」と理解した次第

 継続できる人を尊敬します。

…と書いた瞬間、もしかすると「継続する対象が、自分にとって利がないモノだからなのか」と思ってしまいました。

 

私が継続できないモノは、筋トレや柔軟体操などの体力作り系です。まさに3日坊主でよく続いて1週間。

これらをしばらくやっていると、それなりに変化が現れるのです。腹筋ついたなぁとか、ちょっと体が柔らかくなったなぁとか。ですが続かない。

 

継続できるモノは、趣味や娯楽です。今の私はスマホゲームですね。スマホゲームではパズドラを6年近く、ログインしない日がないほどにはプレイしています。その他のゲームも飽きるまではプレイしています。楽しめるものは続けられるっていうのは当たり前ですね。

 

ですが、それを見る妻の評価は「よく飽きもせず毎日ゲームするね(呆」です。

 

そうなんです。興味の対象と見なさない人にとっては、継続していることが疑問になるわけです。

筋トレや柔軟体操は、体力が無いものにとっては苦行になり、その時間は拷問にもなります。そんなことを続けるなんてマゾにしかできません。

「自分がそれをすることに利がない」という心理から、継続することに対しての畏怖の念、あるいは呆れるといった感情が生まれるのでしょう。

 

 

しかし、マゾでなくても「利がない」と思っていても継続することもあるわけで、私の場合はyoutubeへの投稿やこのブログの記事更新です。

これらの目標は収益化です。今現在は1銭にもなっていません。

ですが、いつか収益が発生することを目指して、youtubeは最低週1本、ブログは毎日更新を目標に取り組んでいます。※youtubeは今年1月に目標設定し継続中、ブログは開設から65日を経過しました。

 

いつかあるだろう「自分の利のため」に…ということで、続けられるモノっていうのもあるってことですね。

 

 

そんなわけで、”継続している人”にとっては「利」がある・求めるから継続が当たり前で、”価値観が違う人”から見ると「尊敬」もしくは「軽蔑」になっちゃうのかなぁなんて、書き始めで思いました。

 

先日のプロフェッショナルでHIKAKINさんがおっしゃった、「継続です」って言葉についてようやく噛みしめて理解できた気がしますw

 

体に柔軟性がないのはアカンらしいです。柔らかい体になることを「利」として、柔軟体操をはじめようかなぁ(パズドラしながら